「天気の子」から考える、アフターコロナの生活や学び




今の「コロナ対応生活」を過ごしているうち、新海誠監督の映画「天気の子」を思い出しました。


あの話の中で、最初は長雨は異常気象の一過性のもので、いつかは元の生活に戻れると考えられていました。
しかし結局は長雨が固定化させる生活が続くことになり、「異常」「特別」が「当たり前」になってしまいます。
その長雨が固定化された生活では、元にはもどれないこともあれば、今まで通りのこともあるのです。

「緊急事態」と言われる今の生活のあり方、仕事のあり方、学校のあり方は「いつかは元にもどる」ことを前提に、場当たり的な対応でコロナ禍が過ぎるのを待っているように思います。
しかし、「三密を避ける」「時差通勤」「在宅勤務」「ネットワークの活用」「BYOD」「遠隔授業」「行事の精選」といったものはこれからも続き、これらの取組と経済活動を両立させること、非常識を常識に変えることを必要になってくるのではないか・・


という発想の転換が必要なのではないでしょうか。
そのようなことを「天気の子」を思い出しながら考えました。




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