2020年1月26日 読売新聞より
政府が全国の小中学校で1人1台の情報端末を整備する方針を示し、その計画を「GIGAスクール構想」としてまとめたことは、以前本サイトでもお知らせしました。
この計画について、2020年1月26日の読売新聞社説で取り上げられましたが、その内容が話題になっています。
政府が2023年度までに、全国の小中学校で1人につき1台のパソコン(PC)などの情報端末を配備する方針を決めた。「3人に1台」の配備を目指していた文部科学省の計画を一気に加速させる。
2020年1月26日 読売新聞社説 より
1人当たり4万5000円を国が負担し、学校に超高速の通信環境を整える費用も半額補助する。総事業費は4000億円を超える巨額投資だ。経済対策の狙いも含まれているという。
読売新聞の教育欄は充実している印象なのですが、この社説はそれらの蓄積が生かされてない、事実誤認が甚だしい、とても残念なものになっています。
問題は、配備されるPCを使ってどのような授業をするのかが、見えていないことである。1人に1台が本当に必要なのか。
子供の学力に応じて、それぞれのPCに難易度の異なる問題を出せば、個別に最適化された学習ができると、文科省は説明する。仮にそんな授業を行うのなら、教員にかなりの指導力が要る。
2020年1月26日 読売新聞社説 より
まずは、この認識が大変古いのです。このようなドリル的な活用は学校にコンピュータが導入された初期、30年以上前のものです。現在の情報端末の活用モデルは「ネットワーク=協働」です。文部科学省の一部の説明を曲解しています。
おそらく社説を執筆している世代の人は、学びを協働だととらえる認識も、そのような授業を見たこともないのでしょう。
子供がPCに向き合う時間が増えるほど、先生との対話や、授業のポイントをノートに自分の手で書く時間は減る恐れがある。
早い時期から、PCでドリルの反復練習をしていると、長い文章をじっくり読んで意味を考えることがおろそかになりかねない。PC学習では読解力は身に付かないと指摘する専門家もいる。
2020年1月26日 読売新聞社説 より
読売新聞の社員は、取材や記事作成にPCなどの情報端末は使わないのでしょうか。PCを使うことにより社員の対話が減り、記者の文章作成力、理解力、読解力が落ちたのでしょうか。未だに手書きなのでしょうか。
そんなことはないはずです。論説委員の方々はPCを使わなくても仕事が成り立つ地位にいるのでそのような認識なのではと思ってしまいます。
大切なのは「学びを社会から切り離さない」ことです。現代社会でPC等の使用が不可欠なこと、影響から逃れることができないからこそ、学校で適切な出会いをして、適切に活用する力を身につける必要があるのです。
そもそも、PCの活用が、従来の学校教育を大きく変える可能性があることに注意が必要だ。
2020年1月26日 読売新聞社説 より
「従来の学校教育を大きく変える」ために1人1台PCの設備が必要なのではないでしょうか。今回のPISA調査で、日本の「デジタル読解力」が下落したことが明らかになりました。そして、日本は授業中にデジタル機器を使う頻度がOECD諸国の中で最下位です。整備されなければ使うことはできません。
現代社会を生きる力をつけるためには、当たり前に存在しているものを学校から切り離さすに当たり前に「文具として」活用し、互いに学び合う学習を進める必要があります。
この読売新聞の社説は執筆者が未だに一斉授業的な学校教育しかイメージしていないこと、学校を社会から隔離しようとしていることから、認識に大きな問題があると言わざるを得ません。
学校現場が目的意識をきちんと持って、適切にPCを活用しない限り、巨額の投資は無駄になる。そのことを文科省も教育委員会も肝に銘じてもらいたい。
2020年1月26日 読売新聞社説 より
もちろん「整備ありき」になってはいけません。整備後に適切に活用することが大切なのです。しかしその活用モデルがこの社説は古すぎるのです。
巨額投資が無駄なっているかどうか、現代社会に見合ったに学習のあり方についての正しい認識がなければ適切に記事にすることも監視し批判することもできません。そのことを読売新聞は肝に銘じてもらいたいです。